民間の布 no1・・・丹波布の地域 01/丹波市青垣町の古い衣料
ここ数年、興味を持って調べている事がある。
それは、丹波布についてなのだが、その作業の中で古い衣料を拝見する機会に恵まれた。
以下の写真がその衣料の部分を拡大したものなのだが、
所有者の方の御話を総合すると、
「昭和10年代に明治初期頃の生まれの方が織った布だ。」
・・・という事である。
品物としては、昭和初期のものではあるが、
そこには明治期を生きた人の感性が織込まれているものとして考えると興味深い。
糸の素材は綿を使い、染織は藍と草木染めに加え、
当時その辺りで"染め粉"といわれた化学染料が使われている
所有者の方のおばあさんによって、この方の為に織られたものだ。
● 紺屋さんによく使いにやられた。
● 紺屋さんへは山を越して行くので嫌だった。
● うちの家ではやらなかったが、前の家のおばあさんは繭から糸が引けた。
● 前の家のおばあさんは繭を煮て糸をとっていた。
・・・等の事について思い出して頂けた。
しかし残念ながら、
具体的な繭から糸をとる方法については覚えていらっしゃらなかった。
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丹波市青垣町の古い衣料 [撮影:福田 いくよ] |
また、織りについては,・・・
● この様な縞文様は、"糸の数を数えてつくっていた。"
● 決まった柄とかは無く、糸の数で工夫していた。
・・・という事などを聞き取る事が出来た。
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丹波市青垣町ジギヌ [撮影:福田 いくよ] |
この上に示した写真はこの地域で"ジギヌ"と呼ばれるものである。
"ジギヌ"は普段着ではなくよそ行き着、ハレの着物として用いられたそうである。
これも前述の方のおばあさんの手によって織られたものである。
また、糸は前の家のおばあさんによってとられたもの。
・・・という事である。
この布の糸を観れば解るように、節糸状の質感をもっている。
染織は、前に示した布よりも後の時代のものなので、多分染め粉であろうとの事。
「縞文様は、決まった柄とかは無い。」との事であったが、
上と下の布を見比べてみると、ある一定の配色パターンが感じられるので
やはり、同じ織り手の手によるものであろう。
両者とも青色系、赤色系、黄色系、の三色の縞で、青色の細い二本縞をアクセントに使っている。
このような民間の布では「決まった柄や文様がありましたか。」と、御聞きすると、
「別に決まったものは無かった。」と答えを頂く場合が多い。
しかし、これ等の写真ような例でも解るように、
別に名付けられていなくとも、自分の得意な柄、親から教えられた柄というものは
確かに織り手の感性や手の感覚の中に存在するのだといい得る。
このような言語化もされず、書き留められる事もない"文化"というものがある。
・・・というよりも,
続けられなくなり、使われなくなり、という時点から、
すぐに零れ落ちて消えてしまうのが生活文化というものの特色だろう。
このような文化が、その廃絶の後、消えてしまうのは早く、
多くの場合は書き留められる事も無いので、消えた事さえ忘れられてしまう。
後年、その一部が"縞帳"などのかたちで見いだされる事もあるが、
往時の家々に伝えられたものの、ほんの一部が幸運にも発見されたに過ぎない。
このような縞帳の多くは不要になった大福帳に布の一切れを貼付けただけのものである。
福井貞子氏の聞き取りを引用するまでもなく、しかしそれは女性の大切な財産であった。
そのような女性にとって大切なものが、次第に打ち捨てられ散逸して行く様を想像すると、
自家用の布が織られなくなって行った過程での、
その時代の変化、価値観の変化の凄まじさに、思わず恐ろしさを感じ身震いを禁じ得ない。