「曾祖母が織った紬」阿久根市佐潟の養蚕紬
先日、祖母の家を尋ねた機会に、阿久根市の織物習俗について聞き取りを行った。
出水市や阿久根市の周辺は、昔養蚕が盛んだったと言う事を聞き及んでいたし、
事実、祖母の生家も養蚕を営んでおり、小さい頃から手伝わされた事も聞いていたので、
いつか聞き取りを行いたいと思いつつも、機会を逸していたのだが、
祖母と電話で話したおりに、・・・
集落には、93歳のお婆ちゃんがいらっしゃると聞き及び、
「是非、お話をお伺いしたい。」との思いが強くなり、佐潟を訪ねた。
父の故郷を"聞き取りを行う側"の目で、冷静に見回すと、
国道沿いに、日用品から車まで扱うような大規模店舗が出店して、
昔からの商店街は、全く活気を失っている。
地域の幹線・中心から外れた、全国何処の地方でも起きているような現象だ。
高齢化・過疎化が目立ち、集落の中にも空き家が目立つようになって来ている。
佐潟は海に面した集落である、
今、多くの家々は、佐潟漁港の周辺に集中しているが、
昔は、大まかに言うと、海側と山側(小高い丘側)の集落に二分されていたようだ。
そして、この山側では、養蚕が盛んに行われたと云う。
また、ここ阿久根市には、絹・生糸にまつわる興味深い資料が残されている。
それは、「糸印」といわれる銅製の印なのだが、
我が国の戦国期から安土桃山・江戸期初頭まで盛んに行われた生糸貿易にまつわるもので、
中国船との取引の際に用いられた物だという。
御存知の方も多いだろうが、この時期の西陣では国内の生糸は用いられず、
このような、中国生糸によって織り物の生産が行われていた。
国内の養蚕は、自家用に費する為か、或は、地方の機場に供給する為の規模である。
国内の養蚕が盛んになったのは、この中国生糸の流入が停止したという程の状況に陥り、
国内需要を賄う為に、幕府が慌てて養蚕を奨励した事によってである。
以降、養蚕は山村や米の出来高が多くない土地にとっての、
重要な産物として位置付けられるようになる。
この「糸印」のような生糸貿易の遺物が残る阿久根という地域は、
織物という視点から、どのような位置づけができるであろうか。?
ここで取引された生糸は、どこに運ばれ、どのような織物になったのであろうか。?
そのような事を考えると興味は尽きないが、話題を佐潟での聞き取りの事に戻すと、
下の写真に示したように、小高い山の斜面を切り開いた段々畑のような耕地に桑が植えられ、
かつては、養蚕が行われていた。
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【 Photo: 佐潟集落の景観 ● 集落、山側の小高い位置から、海側を望む。】撮影:福田 いくよ
祖母は養蚕の事は覚えているが、"機織り"については記憶していないという、
それで、"糸とり"・"機織り"の事を、93歳の、猿楽 トシさんに聞いてみた。
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【 Photo: 話を聞かせてくれた、93歳の、猿楽トシさん 】撮影:福田 いくよ
トシさんに持参した玉繭を見せると、懐かしそうに、手にとりながら話しを聞かせてくれた。
● 繭の事を「ケゴ、或は、ケゴジョ」と呼ぶ事。
● 真綿の事を、この地域では「ネバシ」と呼ぶ事。
● 繭を手の甲にかけて拡げ、それをまた膝で押さえてさらに拡げ、真綿(ネバシ)を作った事。
● 真綿は半纏を作る時に必要で、中に入れて用いた事。
● 糸は座繰り器を用いてもとったが、手でもとった事。
● 自分は糸とりはやらなかったが、姑が夜なべ仕事で手で糸(紬糸)をとっていた事。
● 家にあった機(ハタ)は、ナガハタ(絹機のことか。?)であったという事。
また、昔、宮之城という処に義理の姉が蚊帳を作る仕事に行っていて、
給料の替わりに、蚊帳を作る桑に似た木の皮(楮か梶の木か?)をもらって帰って来たので、
家で糸を績んで、ブンブン(糸車)で撚りをかけ蚊帳を織った事がある事。
それ等の事を、身振り手振りを交え、話して聞かせてくれた。
トシさん宅を辞した後、集落で聞き取りを続けていると、
偶然、富吉 コトさん宅に曾祖母が織った紬が保管されている事が判り、
是非、拝見させていただく事にした。
もう亡くなっているが、コトさんの旦那さんは、わたしの祖父の兄である。
その紬は、曾祖母が、自分の子供の為に織った物で、
コトさんが旦那さんの形見として大事に保管されていた品である。
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【 Photo: 曾祖母が織った紬 】撮影:福田 いくよ
上に示した写真からでもわかるように、緯に紬糸が使われ、
縦糸は、座繰りでひいたのであろうか、直線的な細い糸で織られている。
約五厘くらいの細縞文様,多分50羽の筬が用いられたように思う。
全体的な布の印象としては、纏ったような淡い光沢でおおわれているので、
織り上げた後,"砧打ち"の工程を経たもののように思われるが、定かではない。
縞文様の黒っぽい部分はクヤドン(紺屋)で染めてもらった藍染め、
縞文様の白っぽい部分は、薄い黄色見を帯びているように感じられる。
この地域の自家用の染色に関する聞き取りでは、
山梔子(くちなし)・黒の木(車輪梅に似た木/未特定)・ヤマモモの皮などが用いられていたと聞く、
また、色止めは、塩止め(塩を用いた色止め)を行ったと言う。
この布の、白っぽい部分はどのように染められたのかという点について言い伝わっていないが、
染色されたものだとすれば、多分、山梔子が用いられたものだと考えれる。
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【 Photo: 曾祖母が織った紬(部分の拡大) 】撮影:福田 いくよ
また、興味深い点は、「塩を用いた色止めを行った。」という事についてである。
このような自家用の布に用いられる染織の素材や技法には地域の特性を反映している事が多い。
ここ阿久根市には、「潟んたんぼ」と呼ばれた一帯があり、阿久根塩田の跡だという、
その辺りでは、塩分が土中からしみ出て良質の塩が生産されたとも聞く。
そのような地域の立地条件や環境を反映して、
「塩を用いた色止め法」がこの地域の染織文化としてあるのだと考えれば、
それは、とても興味深いものとして感じられた。
この地域の「塩を用いた色止め法」について、さらに踏み込んで考えれば、
「海晒し」との関係も視野に入れると面白いのではないかと思う。
こういう捉え方は乱暴かもしれないが、「海辺の集落の染織文化」とは言い得ないだろうか。
今回は稔りの多い聞き取りの旅であった。
判った事も多かったし、また、新たに調べてみたいテーマも顕われた。
そして、何よりも、わたしの曾祖母が織った紬に出会えた事が、一番うれしかった。
気のせいかもしれないが、この布を通して、曾祖母の存在が身近に感じられた。
また、忘れられないのは、お世話になった、
猿楽トシさん・富吉 コトさん・猿楽アイさん・田島良之さん・淵上キミ子さん達の
あたたかく迎えてくれた気持ちである。
お忙しい中で時間を割いて、わたしのインタビューに御協力を頂いた御好意には、
どう感謝しても足りず、御礼の言葉もないように感じる。
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