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「草間の藍甕通信」Vol.9ー正月さん・おつぼさん・つぼき・はしおさめ・ぶくー 三重県と奈良県の正月習俗・正月の"つくりもの"と供儀の民俗
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「草間の藍甕通信」Vol.9

LAST UPDATE:2008年,06月,05日,

「正月さん・おつぼさん・つぼき・はしおさめ・ぶく」- 正月習俗 -


- 三重県と奈良県の、正月の"つくりもの"の習俗と儀礼の民俗 -




 明けましておめでとうございます。

今年も、"草間の藍甕" をどうぞ宜しく御願い致します。



 さて、染織には全く関係ないことなのですが、御正月という事ですので・・・。

以前から興味を持って見ている「正月飾り」の事にちょっと触れようかと想います。



 工房がある三重県津市美杉町丹生俣では、

御正月には「正月さん」というものをつくって祀る風習があります。


【 Photo-1:三重県津市美杉町丹生俣地区「小林さん宅の"正月さん"」撮影:福田 いくよ 】


 この地域で正月につくる飾り物は、七五三飾り、掛け鯛、正月さん、おつぼさんなどですが、

 正月さんは、竈と水屋の境界に位置する家の荒神柱に祀られ、

おつぼさんは、神棚の両端、井戸、道具部屋(納屋)などに飾って祀られ、

それぞれ小正月のどんと焼きの日に焼かれます。 

 また、七五三飾りは、今年のものは飾ったまま残し、去年のものが焼かれます。

この地域では、一年中玄関の七五三飾りは残して飾っています。


【 Photo-2:三重県津市美杉町丹生俣地区「井戸に祀られた三浦さん宅の"おつぼさん"」撮影:福田 いくよ 】



 正月さんもおつぼさんも、藁苞状の"つくりもの"で、どちらも榊の枝に付けて祀られますが、

正月さんの方には、Photo-1のように大きなな榊に付けて祀られます。

 榊は御存知のように成長が遅いので、このような立派なものになるには年月が必要です。

だから、数年前から気に入った枝振りの榊を選んでおき、

場合によっては枝振りを作り込んで行くそうですので、

 つまり、今年の正月さんに使われている榊は、数年前から準備されているという事になります。



 昔は、集落の近くの山中に正月さんを迎える場所があり、そこまで迎えに行ったそうですが、

 「正月さん」にまつわる、このような逸話が依り来る神を迎えるというような、

古い習俗を基層としたものである事を感じさせます。



 さらに、興味深い点は、家々によって、正月さんやおつぼさんの形状は様々で、

そして、祀り方にも少しづつ違いが観られるところです。

 この事は、地域の文化と家風(家の文化)の関係を示しているように感じ取れます。







 例えば、田中さん宅の正月さんの藁苞には、雑煮やおせちなどが入れられ、

その真ん中に、正月さんに雑煮やおせちをお供えする為の

ハラミ箸が突き立てられています。

正月三ヶ日の間このようにして祀り、それをさらに小正月まで祀るそうです。


【 Photo-3:三重県津市美杉町丹生俣地区「田中さん宅の"正月さん"」撮影:福田 いくよ 】



 この田中さん宅の正月さんのように、藁苞の中に供物を入れて祀る例は、

旧志摩郡や度会郡の海岸部で見受けられる事が知られています。


【 Photo-4:「田中さん宅の"正月さん"-供儀された御御供部分-」「撮影:福田 いくよ 】



 志摩市礒部町(旧志摩郡磯部町)では、

このような正月飾りのつくりものを「つぼき」と言うそうですが、

藁苞の形状は、丹生俣地域の"おつぼさん"に酷似しています。

作り方もほぼ同じもののように見受けられます。


【 Photo-5:三重県志摩市磯部町「家の入り口に祀られた"つぼき"-全体-」撮影:福田 いくよ 】



  Photo-6と、Photo-7 は、それぞれ、志摩市礒部町(旧志摩郡磯部町)の「つぼき」の、

家の入り口に向かって左側の柱に祀られていたものと、

向かって右側の柱に祀られていたものですが、

この例では、左側は藁苞が一本、右側には二本の藁苞が取り付けられ祀られている点が、

とても特徴的です。

また、 Photo-8 に示すように小豆飯の御御供が「つぼき」に入れて祀られています。


【 Photo-6:三重県志摩市磯部町「家の入り口に祀られた"つぼき"-左側-」:福田 いくよ 】



【 Photo-7:三重県志摩市磯部町「家の入り口に祀られた"つぼき"-右側-」撮影:福田 いくよ 】



【 Photo-8:三重県志摩市磯部町「家の入り口に祀られた"つぼき"-供儀された御御供部分-」撮影:福田 いくよ 】



  丹生俣地域の「正月さん」との違いは、「正月さん」は荒神柱に祀られるのに対して、

この地域の「つぼき」は、丁度門松のように家の入り口の柱に祀られている点です。



 この地域の"つぼき"でも、家の文化による違いからでしょうか。

家ごとによって、祀り方・藁苞の形状(作り方)・中に入れる供物などに、

それぞれ違いが見られます。



  次に示す Photo-9「つぼき- B 例」の場合では、

田中さん宅の正月さんのように、供儀用の特別な箸が、「つぼき」に突き立てられています。

この場合では御幣のような竹の箸が用いられていますが、

このような儀式用の特別な箸の場合、他のものと区別する為に、

"けずりかけ"のような特殊な印がつけられる事があります。

この御幣のような竹の箸は、そのような例に通じる興味深い例です。



 また、箸は神霊が往き来する通路の意味や、依り代の意味をも持つと説があると聞きますが、

この場合では、そのような意味も込められているのかも知れません。


【 Photo-9:三重県志摩市磯部町「つぼき- B 例」撮影:福田 いくよ 】



  次に示す「つぼき- C 例」も、志摩市磯部町「つぼき」ですが、

前のものとは、形状・作り方などに違いが認められます。。

この「つぼき」は、前のものよりも、広口に作られていますし、箸も短目です。

また、Photo-12のように御御供の内容も白飯に"なます"がかけられたような状態を示しています。



 この地域、志摩市磯部町の場合でも、

「つぼき」という藁苞状の"つくりもの"を作って祀るものの、

形状や、祀り方、 御御供( 供物 )には、家によっての違いが見られ、

 特に、御御供( 供物 )の小豆飯と白飯の違いが、

どのような理由によって生じているのかについては、とても興味がもたれるところです。


【 Photo-10:三重県志摩市磯部町「つぼき- C 例」撮影:福田 いくよ 】



【 Photo-11:三重県志摩市磯部町「つぼき- C 例 供儀用の箸」撮影:福田 いくよ 】



【 Photo-12:三重県志摩市磯部町「つぼき- C 例 御御供の内容・上部より」撮影:福田 いくよ 】



  これまで示した例は、津市美杉町丹生俣と志摩市磯部町の例ですが、

このような藁苞状の正月の"つくりもの"を作って祀る例は、

紀伊半島では三重県南部の海岸部から奈良県との県境を越えて、奈良県宇陀郡御杖村まで、

つまり、海と山を結ぶ軸で分布しているような印象が得られます。

また、海側では、御供に"なます"を、山側では、御節や雑煮などを供えるのが特徴的です。









 Photo-13は、三重県津市美杉町丹生俣と隣接する御杖村神末の「はしおさめ」ですが、

これは丹生俣の正月さんに相当するものです。

距離的には近い丹生俣と御杖村神末ですが、呼称と祀り方に違いが認められます。

このPhoto-13のお宅の場合では、本来、丹生俣と同様に家の荒神柱に祀るべき「はしおさめ」を、

家の入り口に取り付けて飾っていらっしゃいました。 

「ちょっと気になったので・・・。」このお宅の方に聞いてみたところ、

自分の家では作らなくなって久しく、知人が毎年とどけてくれるという事だそうです。

 多分、作らなくなった事と、竈が無くなった事などの、ライフスタイルの変化や、

住宅や間取りの変化、そして世代交替などで、

「祀るべき場所が厳密に伝承されなくなった。」か、

そのような事が問題とはされなくなってしまっているようでした。



 奈良県宇陀郡御杖村の場合、Photo-13のような大きなものを「はしおさめ」と云い、

Photo-14や、Photo-15 のような,小さなものを「ぶく」と云うそうです。

これ等は、、丹生俣の場合での「正月さん」と「おつぼさん」の関係に相当します


【 Photo-13:奈良県宇陀郡御杖村神末「はしおさめ」撮影:福田 いくよ 】



 「はしおさめ」や「ぶく」は、・・・

「二十八日にこしらえておき、大晦日に備え付け、

"はしおさめ"には十五膳の箸を造って入れておき・・・。」と御杖村史に記載されており、

このような「はしおさめ」や「ぶく」をシメノウチ15日間祀るそうですが、

その時に正月三ヶ日の間は、朝は雑煮を、夜は御飯とメマキなどを、三ヶ日以降は御飯を、

「センゾマイリ、ヨママイリ。」と唱えながら箸でつまんで、ブクに入れて供え、

また、この時の箸は一日ごとに替える。・・・との内容も目につきます。

 この「センゾマイリ、ヨママイリ。」と云う称え言葉の「センゾマイリ。」については、

御杖村史では、「千度参り"の意味か ?。」 との注釈も付記されていますが、

これはやはり素直に「先祖参り」と理解した方が妥当だと思われます。

 このような御杖村の於いての称え言葉の例から考えても、

これ等の藁苞状のつくりものは、祖霊の依り代的な性格をもっているのではないかと、

そのように想像する事ができますが、

 しかし、反面では、単なる贄の入れ物という理解もあるようですので、

このようなものが一体何であるか、

どうしてこのようなものを作って祀るのか、についてはよく判ってはいないように感じます。



 このように示した「藁苞状のつくりもの」の事を、

奈良県宇陀郡御杖村の例では、「はしおさめ」と呼ぶように、

また、丹生俣の田中さん宅の「正月さん」の例や、志摩市磯部町の「つぼき」の例のように、

このような「藁苞状のつくりもの」に箸が突き立てられるというような事から、

このような「つくりもの」に「箸」がという要素が深く関係しているように思われます。


【 Photo-14:奈良県宇陀郡御杖村神末「ぶく- A 例」撮影:福田 いくよ 】



【 Photo-15:奈良県宇陀郡御杖村神末「ぶく- B 例」撮影:福田 いくよ 】



 このような、藁苞状のつくりものについて、他の地域での例を調べると、

長野県には、「おつぼさんや、「つぼき」や、「ぶく」などと同様のものが、

「やす」という呼称で、存在するようですし、

知人の研究者によれば、同様のものを群馬県側でも見かけた事があるとの事です。



 そしてまた、本山桂川が著した「海島民俗誌」昭和九年 一誠社刊

・・・ に収録されている「御蔵島探訪記」の年中行事の項には、

"おつぼさん"と同様の "ゴキ"というものについてスケッチと共に記されています。



 戦前の様子を記す珍しい例なので同書よりその部分を引用して示します。

(「海島民俗誌」より原文に準じて以下引用 )・・・

 元旦 門飾はユヅリ葉及び竹を門口の左右に立て、之に注連を張る。

島には松がとぼしいから、松を用ひず、ユヅリ葉の枝、或は椿葉及び竹を用ふる。

それにもユヅリ葉の木丈けのものと竹を併用するものと爾様ある。

 注連には "ニンジュウ竹” といふ六尺位の丸竹をユヅリ葉の枝と枝とに横へる。

此の"ニンジュウ竹” の中央には藁で束ねた "ニンジュウ” といふものをつける。

 "ニンジュウ” の上部には、ユヅリ葉を挿し、

下部には"カブツ(柑橘)"を一ヶ藤蔓を通して時計の振子のやうに吊り下げる。

 "ニンジュウ” の藁は、三本づつ十二束に束ね、

更にそれを六束づつ左右に分けて圖の如く束ねたものである。

十二の數はおそらく一ヶ年の月數になぞらへたものであらう。

「大日本年中行事大全」を見ると、江戸中期の京都の門松と思ぼしきものに、

此形式の注連飾の圖が見えている。古い一つの形式であらう。

 注連飾の左右の柱の脚下には、丈け一尺五寸か二尺ばかりの"ゴキ"といふものをつける。

"ニンジュウ竹” は此島には廃れたけれども、"ゴキ"は今も行はれている。

 この"ゴキ"は、正月五日間、芋の煮染や御飯を盛り、神酒を掛けそそぐ。

これは新島本村の"オデイゴキ"と同様のものである。・・・(以上)


【 Photo-16:「海島民俗誌」本山桂川による御蔵島の正月飾りのスケッチ 】



 本山桂川の「御蔵島探訪記」では「ゴキ」という呼称で記録されているものが、

「御蔵島民俗資料緊急調査報告書」東京都教育委員会 の民具目録では、

「サカズキ」という呼称で収録されており、

藁を編んで猪口状に束ね、二個一組で正月の門松につけて、中に御飯、イモなどを供えた。

・・・との内容の記載がありますが、この呼称の差異は採取した集落によるものなのか、

或は、その時代差によって変化したものなのか疑問として残るものの、

両者は、同じものについて述べたものです。







 今回調べた範囲では、このようなものが、伊豆諸島、長野県、三重県、

そして、奈良県の三重県との県境部に点在する事が判ったのですが、

丹念に探せば、このようなものが案外広く分布しているのかも知れません。

 そして、更に興味が向かうのは、何故このように点在しているのかという点と、

このような分布が、どのような文化やモノと重なり合っているのかという事についてです。



 また、紀伊半島では三重県や御杖村などと同様に、正月に小豆粥などを御供する例が、

和歌山県側の熊野地方や奈良県の紀伊山地の地域、そして三重県の熊野市などでも

あるようなのですが、・・・

 これ等の地域の場合では、棒状の樫などの木の頭の部分を十文字に割って、

その部分に小豆粥が盛られます。

 つまり、大まかに言うならば紀伊半島では紀伊山地を境にして、

東側では藁苞、真ん中の紀伊山地エリアでは前述のような木、

西側は未確認なので、この場ではハッキリと言及できない事が残念なのですが、

紀伊半島では木の利用と藁の利用との境目のようなものがありそうなので、

その点に興味が湧きます。







 そしてまた、少し形状は異なりますが、

敦賀市赤崎の山ノ神講では、新米でシトギをつくり、

巨大な三つ編みの藁苞に入れて神撰とするとあり、・・・。

このような例も同様なものかどうかについて興味がもたれますし、

 この例と同様に山ノ神に関連して、

「おつぼさん」と同じ藁苞状のつくりものを捧げる例を、

丹生俣の近くの、下之川中津集落で見かけた事がありますから、

これ等のつくりものは山ノ神にも関係する事があるのかも知れません。



【 Photo-17:三重県津市美杉町下之川中津地区「山ノ神」撮影:福田 いくよ 】





 冒頭にも記しましたように、・・・

私が何故、織物とは関係のないこのようなものに、興味を持つのかと言えば、

やはり、オブジェとして美しく感じられ、不思議に惹かれる存在であるからですが、

さらに踏み込んで言うならば、このようなものの中には、

工芸について云われる"用と美"のプリミティブなかたちを宿しているように思うからです。

 "用と美"の「用」を、実用性として捉えてしまえば、それは単なる商品開発ですし、

この方面での多様な分野が関わるデザイン戦略は、

今日では高度な方法論としてほぼ完成されていますから、

個人の技の及ぶところではありません。

 しかし、「用」を、これ等のもののように、

精神性や文化の要素を、個人の技の中に再現し再生する試みとして捉え直した時に、

現在に於ける工芸や手仕事の意味が再認識できるように感じ、

これ等と対比して、違和感のないものが作れればいいなと、

そのように想い、だから私にとってこれらは興味は尽きない"モノ達"なのです。


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